「思ったことは言ってくれる人とのご縁を大切に」 | エイチ・ツー・オー松元努さん #番外編

SKGがデザインに携わらせていただいた、阪急オアシスのプライベートブランド「阪急の味」、グローサラント「キッチン&マーケット」。それらのブランディング全体を取り仕切られていた松元さんにお話を伺うことができました。

note
・「お客さんから見たらみんな阪急さん」 阪急の味ブランディングプロジェクト | エイチ・ツー・オー松元努さん#1 [前編]
・「お客さんから見たらみんな阪急さん」 阪急の味ブランディングプロジェクト | エイチ・ツー・オー松元努さん#1 [後編]
・「暮らしと価値観の変化を見つめて」キッチン&マーケットブランディングプロジェクト | エイチ・ツー・オー松元努さん#2 [前編]
・「暮らしと価値観の変化を見つめて」キッチン&マーケットブランディングプロジェクト | エイチ・ツー・オー松元努さん#2 [後編]

ここでは、noteに収録しきれなかった松元さんのお話を番外編としてご紹介します。
さまざまな土地で幅広くご活躍されてきた松元さん。
そんな松元さんのご経歴、最新のお仕事、そしてお仕事への思いについてもお伺いしました。

松元努
株式会社エイチ・ツー・オー 食品グループ
取締役専務執行役員
SM事業 商品グループ長 兼 店舗開発部長 兼 MD計画部長

1988年(株)阪急百貨店に入社。タイ、バンコクでの駐在を経て経営政策室に配属。食品の宅配事業「阪急キッチンエール」取締役、スーパー「阪急ファミリーストア」社長、(株)阪食(現(株)阪急オアシス)取締役を歴任。PBのリブランディングや「キッチン&マーケット」の企画開発を手がける。

なじみの阪急さん、バンコクそして横浜へ

—サービスの企画、ブランド立案に携わられている松元さんですが、新卒で阪急百貨店に入社されていますよね。なぜ百貨店を選ばれたんですか?

松元 阪急百貨店はやっぱり阪急ファンっていうのがあったんです。母親も阪急ファンで、うちは阪急百貨店はドアツードアで15分の大阪市内に住んでいました。
何かっていうと阪急、子どもの時もハレの日は阪急百貨店、みたいな部分がありましたんで。高校生のときは阪急百貨店で、大学生時代は阪神百貨店でアルバイトしていたんです。
だからそういう部分では何となく分かっているみたいなところがあって。
ただ大学には求人がきてなかったんで、電話して最後の会社説明会に滑り込みました。最後の2人をそこから拾ってくれたんで、数合わせだろうっていうのがありました。
それで3年は辞めずに頑張ろうと思ったんです。
そしたら3年目に海外に赴任することになったんです。タイのバンコクに赴任して、なんと9年間いたんです。

—9年!長いですね。

松元 8年9カ月ぐらい。エリア・諸国も含めて、活動の範囲が広い仕事で、もう面白くて。
帰国後は開発室や経営政策室などに在籍していたんですけど、キッチンエールという宅配事業を立ち上げて会社を作って。そこが3年半で単月黒字、その翌年度に黒字になって、今度はスーパー事業に入ったのが2006年くらい。
それから今にいたるわけです。
食を通じた多様な経験をさせていただきました。

—タイのバンコクのときもお仕事は食品関係だったんですか?

松元 はい、食品関係です。向こうでお店を出しました。

—バンコクの後はずっと関西で?

松元 私、横浜の港北ニュータウン、あざみ野に住んでいたことがあるんです。短い間でしたけど横浜阪急を担当していた時があって、それであざみ野に住んでて。20年くらい前、2000年代頃ですね。

—私、宮前平に住んでいまして。

松元 ご近所ですね。

—都筑阪急もときどきお邪魔していますし。

松元 上に観覧車が。

—はい、観覧車ありますよね!家族で乗ったこともあります。
https://www.mosaicmall.jp/

最新のお仕事は京都洛北で

—御社のホームページを拝見している時にイズミヤやカナートの店舗情報が載っていて懐かしく思いました。京都の洛北にある大学に通っていたので利用していたんです。

松元 そうでしたか。洛北のカナートはちょうど先週、地下の食品売り場を改装オープンしたんですよ。

—またタイムリーですね。

松元 今は洛北阪急スクエアという、阪急が全面的にリフレッシングをして大きいショッピングセンターみたいな形で。そこの地下にもともとイズミヤがあったんですよ。
https://hankyu-square.jp/

—ええ、そうでした。

松元 それを、スーパーなんですけど、かなり百貨店の要素を入れた形に改装しました。あそこ下鴨も近いですし。
高野のイズミヤのお店はそのまま残しているんですよ。

—変わらず残っているんですね。懐かしいです。

松元 はい。洛北阪急スクエアとは全然ポジションの違う店としてですね。新しい食品売り場、よかったら見ていただきたいくらいです。

—はい、ぜひ行ってみます!

思い響く人と仕事をしたい

—私たち、「デザインでほんとの助けに」ということをミッションに掲げているんですが、ここにたどり着くきっかけとなったのが、松元さんとご一緒させていただいたお仕事だと思っているんです。当時、抜本的な案を提案させてもらい、それを採用いただきました。
その経験が、今の「ほんとにそのお客さんにとってどういうことをするべきか前提から疑う」といった我々の指針に結びついています。

松元 そうでしたか。小売り、特にスーパーなどが自分たちの頭だけで作っていくよりは、直接思い響く人や会社と仕事したいというのはありますから。今こうやってご縁を続けさせていただいているのもPBのパッケージデザインのことがあったからかなと思います。

—ありがとうございます。私のような年も若くて規模も小さな会社の人間の話を聞いてくださって、大きな決断をしてくださって。本当にありがたかったです。

「阪急の味」(一部)

松元 例えば、今はほとんどのスーパーやコンビニで導入されている壁面のメッシュ棚ですが、あれは自分がこうして欲しいっていうのを初め、岐阜のものすごく小さい木工家具屋さんに作ってもらっているんですよ。作ってもらうのはスチール棚なんですけど、最初木で作ってもらったんです。
自分はその棚にすごくこだわりがあったんですけど、やっぱりそういうお仕事する時は社長さんとも直接ですね。社長さんと言ってもそんな偉そうな社長さんじゃなくて、木工屋のおやじさんなんですけど。そういうところはやっぱり大事にしたいなと。
御社も「あっ」と思ったらおっしゃる人だから、そこはすごく大事なところかなと思います。

—恐れ入ります。ありがとうございます。

2022年1月

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