- SKG5周年イベント
助川(以下 S) あらためましてSKG5周年イベントへのご出演ありがとうございました。
青木(以下 A) こちらこそありがとうございました。
S 2019年4月にSKGが設立5周年を迎えるにあたり、社内企画としてイベントを考えていたのですが、
青木さんにライブしてもらえたらいいな、と思ってダメ元で聞いたら快諾してくれて。とても嬉しかったです。
A ライブ、すごく楽しかったですよ。
お客さんの反応が素直で、聴き込んでくれるところは聴いてくれるし、盛り上がるときは盛り上がってくれた。
普段、僕のライブに来られる方は、どちらかというとお酒飲まないで静かに聴く方が多いんですけど、皆さんお酒も進んでましたし(笑)
S 青木さんのライブが初めてという方も多かったと思うのですが、
僕はあらためて青木さんの音楽をみんなに体感してほしいと思いました。
「青木慶則」名義のファーストCDを作る手前で吉祥寺のスターパインズカフェに伺ったんですが、
そこで聴いたライブは音源を聴くよりもグッとくるものがあった。体感して良さが身に沁みました。
だからそれをみんなにも感じてもらいたかったんです。
A そう言ってもらえると嬉しいです。
S 演奏もさることながら、トークやCMのナレーションの実演など、
青木さんが盛り上げてくれたので、本当に良いイベントになりました。
青木さんとの出会い
S すみません、改めてこんなこと聞くのも何なんですが、
どうして僕にロゴやジャケット制作のご依頼をいただいたんですか?
A (笑)そうですね、最初の出会いは共通の友人を介してだったんですよね。
S そう、僕は元々「HARCO」というアーティストを知っていたのですが、
お会いした際に青木さんがHARCOだと知って「え?あのHARCOさんですか?」的な(笑)。
それで嬉しくなって、お会いした際はあまり時間がなかったので、
後から僕の思いや紹介を青木さんにメッセージ送ったんですよね。
A そうそう、それで交流が始まって、助川くんがブランディングやロゴのデザインをしていることも知った。
ちょうど僕が本名で再スタートしようと思ってた時で、制作チームを刷新して新しいメンバーと
取り組みたいと思っていたところだったんです。
S そうだったんですね。
A 「HARCO」時代の20年では音楽はほぼセルフプロデュースだったし、ビジュアル面についても
方向性を決めるのは自分とスタッフの二人だったんです。
だから、本名で活動開始するにあたっては「こっちの方がいいですよ」「今はこれがイケてますよ」とか
方向性を見出して引っ張ってくれる人が欲しかった。
それでデザインだけでなくブランディングをやっているって聞いて、依頼してみようと思ったんですよ。
S なるほど、そうだったんですね。
イメージの共有
S 最初ご依頼いただいた時は、漠然とですけど「僕の役割はCD単体のデザインだけでなく全体を見ながら
各制作物をつくること」だと思ってたので、具体的にデザインに落としこんでいく前に色々お伺いしたんです。
A 確かにあの頃はまだ今後の活動が漠然としていて、どんな音楽性になっていくのかも分からなかったし。
S だから、ホワイトボードに書き出して整理しましたね。
A 覚えています、すごく。
S 例えばキーワードを出して連想するものをメモして、
好みのアイデアをコラージュをするような感じでイメージを膨らませたんですよね。
A そうそう、青木さんの目指す音楽のイメージは街で言うとどこで、施設ならどこですか?」とかいう質問が来て、
面白かったです。そんなこと聞かれたことなかったから。
S はい、青木さんのことを知りたかったんですよ。
A それで僕は「街でいうと六本木」って答えたんですよ(笑)
S そうでした。最初は意外でした。
A でも、場所は図書館や美術館。六本木というザワザワした都会なんだけど
場所としては、ひっそりしている。エアポケットのような場所ですね。
S そう、それで納得がいったんです。確かに青木さんの音楽ってそうだなって。
そうやってイメージをどんどん引き出していって、徐々に青木さんがわかるようになってきた。
ロゴの制作
S そこで得た手掛かりを元に具体的にロゴの制作に入っていったんです。
A でも、その時はまだ音源ができていませんでしたね。
S そうです。しかも青木さんの精神性をなかなか言語化できないままだったんですけど、
感じ取ったものを体に染み込ませて手を動かしたらロゴができた。
A そんな簡単にできたんだ(笑)
S (笑)いや、そんなに簡単じゃないです。
やっぱりアーティストとしてのロゴなのでアルバム単体、ライブ単体といったタイトルロゴのレベルではなくて、
青木さんがずっと使っていけるものを、と思ってたので、音源というよりも
青木さん自身に向き合って作ったんですね。
A なるほど。
S 青木さんは本名での活動開始にあたって等身大の自分でやりたいとおっしゃっていたこともあって、
本質と向き合うデザインが良いなと考ました。
それで、ハネ、ハライといった文字の装飾を省いて、はがしていったら文字の骨格だけになった。
青木さんの芯の部分だけを残すというのがコンセプトです。
第一印象はどうでした?
A おおーという感じでしたね(笑)
言葉にならないんだけど、いいな、と思いました。でも第一印象より今の方がいいなと思っています。
使うごとに馴染んでくるというか。
S ありがとうございます。
A なにより「慶」の字が簡略化されていたのが衝撃で。
自分でも画数が多いなと思っていたんだけど、略しても認識できるんだな、と思って。
S そうです。名前を略してるわけだから割と大胆(笑)。
今では道路標識の和文は「ヒラギノ」という書体が多いのですが、一昔前の高速道路の標識は簡略化された漢字が多かったんですよね。高速移動中にでも認識できるように。
これって文字を文字としてではなく、図として多くの人が認識している証しかな、と。
そんな考えもあって、割と大胆に省略しましたね。ロゴなので正確かどうかではなくて視認性を重視しました。一応、略さないモノもお見せして、見比べて納得してもらえて良かったです。
クリエイティブへのアプローチ
A 助川くんは今回のロゴのように直感的にデザインすることが多いの?
S そうですね。場合によりますが初期衝動で作ったデザインがゴールになることが多いです。
説明しなくても最初につくったものがクライアントに選ばれることも多いですね。
A 「ブランディング」というある意味大きなプロジェクトを、直感的にデザインしてるというのは意外だったけど、つくるものをみると理解できますね。
できあがったものは一見クールなんだけど、その裏には熱がある。
S ありがとうございます。
ブランディングの過程でロジカルにプランニングするんですけど、デザインに入ると一旦それを忘れて、直感に戻るという感じです。
深呼吸してあたまゼロにして手を動かす。
A なるほど、興味深い。
S 青木さんはどうですか?音楽はより直感的な創作活動なのかな?と思いますが。
A 今日もまさに曲を作っていたんだけど、僕は理性から始めることのほうが多いですね。
S へえ、意外です。
A ネタ帳のようなノートがあって、大まかな方向性が書いてあって。それに則って、適当な日本語を載せて歌いながらスケッチしていくんです。
メロディやコードは、だいたい10秒間隔で小間切れにICレコーダーに吹き込んで、それをひたすら繰り返していく。
S 大変な作業ですね。
A たとえば良いAメロができたら、なるべく熱の冷めない30分以内に違うセクションもつくって、
不完全でもいいのでひとつでも多くの片鱗を残していって。
それをしばらく寝かせたあとに、違う曲の片鱗同士を集約したり、1曲として整えたりして、作品にしていくんです。
S へえー、思っていたより論理的なアプローチなんですね。
A 僕の場合、直感からスタートするとなんだか熱すぎるんですよ。(笑)
父や祖父は根っからの江戸っ子気質だし、母も音楽家で、さらに陶芸家の血筋なので、情熱のかたまりのような人。
それらを僕は受け継いでいるから、内面は溶けた鉄のように熱いんです。
S そうなんですね。
A だから自分なりのルール、言わば“鋳型”のようなものを、用意しておいたり、その度に予めつくるんです。
そして納得のいく鋳型ができた後に、溶けた鉄を流しこむ。そうやって作曲していますね。
1stアルバム
S ファーストアルバムアルバムの制作はどうだったんですか?
A 本名名義になってから、最初はバンドアンサンブル重視の楽曲をあれこれ作っていたけど、いいものがなかなかできなかったんですよ。
半年かかって、ふっと1、2曲できて。それがたまたま弾き語りを前提とした曲で。
で、その時にこの事務所で音源を聞いてもらったんですよね。
S はい、覚えてます。
A これは弾き語りをやれっていうことかなと思って、その路線に切り替えて制作を進めました。
S ジャケットは青木さんの本質を表現したかったから写真も白黒にしようと考えました。
そこで、写真家を誰にするかも青木さんに提案して、山本康平さんに決めた。
A そうでしたね、ジャケットをデザインしてもらう頃にはピアノの弾き語りでいくことも確定していたし。
場所も、僕がよくライブをしていた、グランドピアノが弾ける下北沢の「SEED SHIP」に決めて。
S 撮影自体もスムーズでした。表紙に採用したカットは後半に撮影したものなのですが、
シャッターを切った瞬間に山本さんとアイコンタクトで「これだ!」って合図しました。
A 僕は、そのやりとりがあったことを後で知った…。
S 一応他のカットで表紙のレイアウトも作ったんですが、最終的にこのカットを推しました。
A これまでとは違う世界観で、いいスタートがきれました。
でも、最初は写真の暗さが、「HARCO」の頃とギャップがあるのではないかって、少し心配でした。
S そうですね。「HARCO」の時は割とストレートに人物像が出てたと思うんですけど、
青木さん名義ではちょっとクールに、露出をアンダー目にしました。
A 意図的に暗くしたんですよね。
S そうです。「わかりやすいデザイン」が求められることが世の中的に多いと感じているのですが、
表紙ではむしろ逆のアプローチをとりました。表紙と向き合うとじわじわと青木さんが伝わってくるという手法です。
でも全く伝わらないわけではない。そのさじ加減が重要だったように思います。
まさに青木さんの本質がじわじわと浮かび上がってくるのではないか、と思ったりもしました。
お客さんの反応はどうでしたか?
A 意外とみんなスーッと受け入れてくれますね。
「ギョエー! 旧校舎の77不思議」オリジナルサウンドトラックと今後
S そしてこれですよ、ヨーロッパ企画のサウンドトラック。コンセプトは「ギョエー」(笑)
A 77曲入り(笑)。
これ、助川くんの発案なんですよね。「77曲入りにしましょう」と言われたときはまさに「ギョエー!」でした。
S すみません。でも話題になりましたよね(笑)
A おかげさまで。それでも、やっぱり77曲は相当大変で、最後は徹夜しましたよ。
S ビジュアル面でもギョエーで攻めました。
中面のデザインは弊社の門野が考えたんですけど、台本を読んでいない状態だったので、
いろいろなキーワードから考えて、音楽室の肖像画をモチーフにすることにしました。
「ヨーロッパ企画」の舞台らしくもあり青木さんらしくもある、ほどよく中間のものに仕上がったと思います。
A そうそう、中面にちゃんと僕もいる(笑)
S 中央にいるんですが、「ヨシくんベートーヴェン」です。
A このあと自分のサイトやライブ会場でも販売を始めるんで、いつものお客さんがどういう反応してくれるか、楽しみですね。
S ここまで振り返ってきましたが、ひとつひとつの制作に集中して取り組ませてもらっていて、
僕らとしても楽しませてもらっています。
A ありがとう。うん、助川くんには今後も協力してもらいたいと思っています。
グッズも作ってもらったり、WEBも監修してもらったり、ミュージックビデオも。
総合的にできる人はあまりいないですからね。
S はい、僕たちも青木さんとは長い目で一緒にやりたい。次、何をできるか楽しみです。
A そうですね。そこは僕も同じです。長い目でよろしくお願いします。
まとめ
今回のCD封入作業は「ギョエー! 旧校舎の77不思議」の舞台初日にサウンドトラックを発売できるよう、短い制作期間の中、制作チーム自身で封入を行ったものです。トークに花が咲き、時にCDを封入する手も止まりがちでしたが、無事に作業も終わり舞台初日にサウンドトラック発売することができました。
目論見通り、毎回舞台あいさつの物販宣伝では「なんと77曲入り!」とPRされ、お客さんの「オー!」という驚きの反応とともに購買につながったようです。
テキスト 永井史威
2019年12月14日